”もしも話すことばが 目に見えたら
どんな形を しているだろう
たとえば、うつくしいことばは 花のかたち
だれかを傷つけることばは 針のかたち
かなしいことばは つめたい水滴…”
ことば、について最近よく考えます。
自分の思いと、このことばは一致しているのだろうか、ということ。
「ことばは、たっぷりとある心の、ほんのちょびっと」と作者のおーなり由子さんは後書きでおっしゃっているけど、本当にそうだなと。
だからこそ、どのことばで表現するかって時に迷いますね。
知らない内に、人は自分を卑下することばや誰かをコントロールすることばを使ったりすることがあります。(どきっ、私です)まずは、気づくことがスタートなのかなと。。
ことばを受ける側も、受ける時の状態でその受け取り方が変わりますよね。
そんな時は、たとえばそれが「同じ傷つくように感じることば」でも、形が釘なのか、木の実なのか・・・。お話に出てくるように木の実だったら大事な忠告だから、その種を植えれば育つことがある。それを慎重に見極める心を育てられるといいですよね。
でも、心のない傷つくことばって、大体あたたかさがない気がします。だから、人はやっぱり体全体で感じ取ってしまうんじゃないかなと。
なんかもやもやする、とか、なんか悲しい、という自分の感覚まずは大切にしましょう。うん。
私たちはことばなしでは生きられない。
お互いにテレパシー能力がない限りは、ことばがなければ自分自身をよく知ることもよく伝えることもできない。
「ことば」というものを浴びて育つからこそ、どんなことばと日々接しているのかが大事だ、と松居直さんがある講演でおっしゃっていました。
よくある実験で「優しい愛のあることば」を浴び続けた植物はぐんぐん成長し、「悪口などネガティブなことば」を浴び続けた植物はどんどん萎れてしまう、というものがありますね。
目には見えないところで、ことばは大きな力を持っているのだと改めて思います。
できるだけ、自分に優しい形、澄んだ色のことばをかけてあげたいですね。
「頑張ったよね」「えらいよ」「素敵だったよ」「つらかったんだね」…
周りのひとに、それを分けてあげたいですね。
そうできないときは、さらに自分を包みこむことばをかけてあげたいですね。
少しずつ、少しずつ、自分が変わることで、ことばに溢れる世界の景色が1ミリでも変わっていくのかなって、これを読んでて感じた私でした。
皆さまの大切なひとに、花のようなことばを届けることができますように
おーなり由子さんの素敵な一冊。
ご覧になってみてくださいね。
『ことばのかたち』
おーなり由子
講談社 2013年
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